暴走族の兄が他界…遺品の整理中、全てに鍵が掛かった不思議な引き出し。その中には”絶対バレたくなかった物”が敷き詰められていた

私には、兄がいます。 とは言っても、もう10年以上前に他界してしまいました。 死因は交通事故。 バイクで大型トラックの車両後部に激突し、即死でした。 当時、兄は17歳。 地元でも有名な暴走族のリーダーを務めていたらしく、近所のみならず周囲からはかなり恐れられていた存在だった。 元々はすごく優しく、弟の私に対しても面倒をよく見てくれて遊んでくれていた兄ですが、中学校2年生頃から急に悪へと方向を間違えてしまったのです。 学校へも急に行かなくなり、家にもたまにしか帰って来なくなった兄。 「一体何があったのだろう…」 元々は明るく笑顔で運動が大好きな性格だった兄は、友達からも人気の活発的な好少年。 それが急に変貌してしまったので、家族も私も困惑を隠しきれませんでした。 家には、警察から電話が掛かってくる事なんて日常茶飯事。 ・暴走行為 ・喧嘩 ・窃盗 両親は、兄の犯した様々な所業で警察へ呼び出しをされていました。 たまに家に帰ってきては母親と父親と言い合いになり大げんか。 あんなに優しかった兄は、その時既に私とは口も利いてくれなくなっていました。 兄が悪の道へ進み、見た事のない特攻服のような服を身に纏い単車で家を出て行く姿を見て、母が泣いている姿を何度か見た事だってあります。 なんでこんなに家族を悲しめる事をするんだ。 私は、徐々に大好きだった兄に対して怒りを覚える様になり、ハッキリと兄に立ち向かって、もう 家族を悲しませる様な事をするのはやめるように言ったのです。 すると、兄は怒るわけでもなく意味深にこんな言葉を返してきました。 お前には分からんよ。 戻れない状況と今更なんて言っていいかも分からない所まで来ちゃったんだ。 でも、お前には悪いと思ってる。 スマンな。 この時、私には兄が言っている本当の意味が理解できませんでした。 1週間後、兄が交通事故で他界するまでは… 深夜1時頃だったでしょうか。 …

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『他界したはずのパパが結婚式に!?』娘に”少しだけ”会いにきた…16年越しに知った”パパの真実”に涙が止まらない

人生の大事な節目となる結婚。 その結婚という瞬間を、より私たちの心に色濃く焼き付けるのが結婚式ですよね。 そんな人生の幸せな瞬間に立ち会えるというのは、友人や職場の仲間にとっても嬉しいことです。 ましてや、両親にとっては最幸の瞬間とも言えるのではないでしょうか。 子供を授かった時から、その瞬間に立ち会えることを夢見ている両親はたくさんいると思います。 しかし、その瞬間に立ち会うことができない方も現実にはたくさんいます。 今回ご紹介する実際にあったエピソードも、娘さんが幼い頃にお父さんがバイク事故で亡くなりました。 しかし、結婚式の途中で突然懐かしいお父さんの声が… 涙なしでは見られない号泣必須の感動の実話をご覧ください。 私はつい先日に同い年(21歳)の彼と結婚しました。 12月には長男が産まれます。 まず、私の大好きなパパの紹介をさせて下さい。 私のパパは、同い年のママと19歳の時に結婚して、その年の冬に私を産みました。 いわゆる出来ちゃった結婚ですね(笑) パパは高校へは行かずに、16歳の頃からバイクのレーサーを目指していたみたいですが、怪我でプロの夢は諦めたみたいです。 そんなバイクが大好きなパパが選んだ仕事がバイクで書類を配送する仕事でした。(当時はテレビ局のプレス(?)と私には言っていました。) ママと結婚する時に、両方の両親からは大反対されたみたいです。 普通に考えて、家族を支える仕事としては、事故とか心配になりますよね。 でもパパは、ママの両親に「自分は命を懸けて仕事をして、命を懸けて家族を守るんです!それが自分なんです!」と言って反対を押し切ってママと結婚したそうです。 でもそんな言葉が無残にも現実になってしまったのです。 パパは休みの日は絶対に私と遊んでくれました。 ご飯も一緒に家族全員で食べていました。 私のワガママも全部聞いてくれて、私が自転車の練習を始めた頃(4歳)には朝から夕方までずっと公園で一緒に練習してくれました。 雨でも晴れでも雷が鳴っても、絶対に保育園に迎えに来てくれました。 亡くなる前は、パパと毎日お風呂に入って、パパの細い腕枕で寝ていました。 忘れもしません。私が5歳、弟が3歳のパパが24歳の誕生日でした。 久しぶりに行ったツーリングの途中でガードレールにぶつかって、亡くなりました。 体を強く打って、即死だったみたいです。 病院に行った時に見た、白い布(?)を取ったパパの顔は、綺麗で、不思議な事に笑っていました。 幼かった私は「死ぬ」という意味が理解出来ずに、ただずっと泣いているママと、パパとママの親族、白い布で顔を隠した、暗い部屋に寝ているパパを弟と不思議そうに見ていた記憶を鮮明に覚えています。 …

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幼いライオンを救った男性。野生に戻ったライオンに数年ぶりに会いに行くと、ライオンの見せた反応に世界が涙…。

皆さんの飼っているペットたち。 普段から一緒に生活をしているため、お互いの信頼の強さを感じる瞬間ってあるのではないでしょうか? 動物は、情に厚く、時に私たち人間と同じような行動をすることもあるのです。 今回ご紹介するのは、自然保護NPO団体の一員であるバレンティンさんと、メスのライオン「シルガ」の感動の再会を果たした映像です。 バレンティンさんは、当時子供であったシルガを保護しました。 そして、成長したシルガは野生へと帰り、今も野生で元気に過ごしています。 そんなシルガへ数年ぶりに会いに行ったバレンティンさん。 久々の再会に、バレンティンさんも興奮をしていますが、シルガも同じように再会を心待ちにしていたようです。 人と動物を隔てる柵を開けると、シルガはまるで猫のように飛びついてきたのです。 その後も、バレンティンさんに抱きつきながら、まるで「会えなくて寂しかった」と言っているかのように、バレンティンさんに体を擦り付けます。 それに応えるようにバレンティンさんはシルガの体を撫でます。

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13年間共に過ごした愛犬が他界。悲しみの中、犬小屋を撤去すると紙キレが・・・信じられない事態で号泣する

私は大学卒業後、東京で就職。 地元の三重県から1人で出てきました。 東京に来たばかりは友達も少なく、常にホームシック状態で、毎日毎日実家に電話をしていました。 その中でも、やはりずっと思っていたのは子供の頃からずっと一緒だった愛犬のチロル。 私がペットショップで一目惚れして、ワガママを言い続けて買ってもらった犬でした。 いつどんな時でも隣にいて、私が辛い時や悲しい時もずっと側で優しく寄り添ってくれ、悲しい表情の時はペロペロと気遣う様に舐めてくれたり、辛い時は何も言わず側でゴロンと寝そべりながら上目遣いで心配そうに見守ってくれていたチロル…。 実家での想い出には、必ず側にチロルがいてくれました。 いつも、お母さんに電話をしては電話口にチロルを出してもらって元気をもらう。 お母さんの話では、私が上京してからは、心なしかチロルに元気が無くなってしまったそうです。 家の中だと全く動かなくなってしまったチロルの健康を気にかけ、外の庭にチロル専用の放し飼いに出来るスペースと冷暖房付きの犬小屋をこしらえ、家の中とはいつでも行き来ができる様にしてあげたそうです。 しかし、それでもやはり元気が無くなったのは、私が居なくなってしまったからだと… お母さんが驚いていたのは、不思議と私が電話越しに話しかけると尻尾を目一杯振って喜んでいたという事。 しかし、上京してしばらくすると、こちらでも友達が出来、段々と生活に慣れ始め実家に電話をする回数もどんどん減ってしまいました。 その時は気付かないものですが、後にとてつもなく後悔をする事に。 上京して約一年が経った頃、ある日実家から一本の電話が…。 仕事の昼休憩中だったので、用件だけ聞こうと急かすと、お母さんの口から悲しげな声とともに一言。 チロル、死んじゃったよ。 チロル、息しなくなっちゃったよ。 母からの電話 私は、全ての時が止まったのを覚えています。 昼休憩中賑わう社内食堂の中、呆然としました。 そして同時に今までチロルと過ごした日々が走馬灯のように回想しました… 仕事にも慣れ、こちらの生活に慣れ始めてから、気付けば一度も実家に電話をしていませんでした。 チロルは、それから明らかに元気が無くなっていったそうです… お母さんが誰かと電話をする度に、私だと思いジッと見つめて期待している様な表情を浮かべていたそうです。 私は、心の中で何度も何度も謝りました。 その翌日からの週末休みを使って実家へ帰り、チロルの遺体をギュっと抱きしめて泣きました。 ずっと泣いて、ずっと抱きしめて謝りました。 そしてチロルのお墓を作った後、チロルの遺品を整理するために犬小屋を隅に寄せようとした時です。 チロルの犬小屋には、そこにあるはずの無いものが… …

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新幹線でぐずりだした赤ちゃん。そこに通りかかった明石家さんまが取った行動が神対応過ぎる…が、オチがスゴかった。

電車やバス、新幹線の中で子供が泣いてしまい、車内に声が響き渡り、緊迫した空気になってしまった…なんて状況経験をされたことはありませんか? そういった状況のとき、周囲に迷惑をかけていると思い、必死に子供をあやすママたちの姿をよく見かけるかと思います。 そんなよく見かける状況、普段ではあり得ないような出来事が起きたのでした。 この出来事の中に登場したのは、『明石家さんま』さん。 明石家さんまさんは、ファンをとても大事にすることで有名で、どんなときでもサインなどを拒否しない、”国民に愛される大物芸能人”ですよね。 そんな明石家さんまさんが居合わせた新幹線の車内で、泣きじゃくってしまう子供の姿があったようです。 泣きじゃくる子供に対し、明石家さんまさんならではの温かい行動をされたようで、その出来事の詳細をツイートしたところ、瞬く間に広がり、多くの人から賞賛を浴びることとなりました。 しかも、たまたま明石家さんまさんが居合わせていたことだけでも衝撃的なことなのですが、実はこの子供の母親、知る人ぞ知る『あの人』だったというオチもあり、大きな話題となっています。 今回、そんな明石家さんまさんならではの『温かい行動』をご紹介します。 この出来事は、ある新幹線のグリーン車で起きたのでした。 職場の同僚のお友達が新幹線でくぅちゃんと席隣だったらしい! そしてそのときの出来事がすごい…! 偶然乗り合わせたさんまさんが、くぅちゃんの息子ちゃんをあやしたりおもちゃあげたりしたんだって♡ pic.twitter.com/r3LqGmeKZS — AYAmuuu (@aa_9393) April 19, 2015 なんと、泣きじゃくる子供を笑顔にするために、わざわざおもちゃを買ってきてあげて、プレゼントしたのでした。 その結果、子供は最高の笑顔で飛び跳ねて喜んでいたとのこと。 そして、この子供の母親は、なんと『倖田來未』さんだったそうです! 明石家さんまさんは、倖田來未さんの息子さんだったからこんな対応したのでは?なんてコメントも寄せられていますが、明石家さんまさんは、一般人の方と気さくに写真やサインに応じるほどファンを大切にしています。 明石家さんまさんに出会って、とんでもない神対応を目の当たりにし、更にその相手が倖田來未さんだったなんて、ダブルで衝撃ですね! ファンを大切にする姿勢が滲み出ているからこそ、今も尚変わらぬ人気なのでしょう。 これからも多くの人に愛される『みんなのさんまさん』でいてください。

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理不尽な理由で老夫婦の客をバカにする寿司屋の主。それを見た隣の若いカップルは店主に言及。その言葉は今どきの若者では珍しい粋な内容だった。

東京都にお住まいの方からのお話をご紹介させていただきます。 私は東京都で会社員をしている者です。 先日取引先の付き合いで都内地下鉄の大江戸線のある駅に隣している寿司屋(駅名と店名は伏せておきます)で食事を取ったのですが、そこである出来事に出くわしました。 お店は12時ちょっと過ぎくらいということもあり席はほぼ満席で、私たちは長テーブルで2組の方と相席で座ることに。 その相席させていただいた方は、どこにでもいそうな老夫婦二人と若いカップル。 先にそちらの夫婦とカップルが注文をしていたので、私たちが席について間もなくお寿司が運ばれてきました。 ネタが輝き、しっかり握られたシャリを見て「旨そうだなぁ」と、見とれていました。 そうこうしていると、私たちにも注文したお寿司が届けられてきました。 届けてくれた大将らしき人に「ありがとう」と伝え、さぁ食べようと箸に手を伸ばした時、この大将に相席をしている老夫婦の女性が話しかけたことで今回の出来事が起こるのです。 女性が大将に「この鉄火巻き、本当に美味しいですね。お家でも、こんな風にお寿司を作りたい時はどうやったらいいですか?コツありますか?中々素人には難しいですかね…」と話しかけました。 すると大将はこの女性に向かって「笑わせるね。そりゃ無理だわ、当たり前。」とぶっきらぼうに答えたのです。 この女性は、本当に美味しいからちょっとしたコツがあればと思い聞いたのでしょうが、大将のまさかの返しにたじたじ。 続けて大将は「そんなもんこちとら延々と修行重ねてやってきてるんだ。やすやすとコツなんぞ教えれたら苦労ないもんだ。」と嫌味に小笑いして言い放ちます。 もちろん、プライドや魂を持ってお寿司を握っている大将の気持ちも分かりますが、何も客に向かってそんなに言わなくていいのに…と思いながら私は気分悪くなりつつ黙ってお寿司を食べていたのですが、まだ大将は言い足りなかったのかさらに女性に嫌味ったらしくぐちぐちと話します。 ちょっと聞いただけなのに、ここまで言われると思っていなかった女性は食べかけの鉄火巻きにも手をつけず、すみませんと恐縮するばかり。 さすがに言い過ぎだろ!と不快に感じた私は大将に一言いってやろうと決意した瞬間、横にいた若いカップルが先に口を開いたのです。 あー不味い。 なんだここ。 くそまじーわ。 回転寿司のがよっぽど美味いな。 帰ろうぜー。 引用:メール原文 こう店中に響く声で言い放ちながら席を立ち、続けてさらに大将に向かって逆に嫌味を言いながらお店を後にします。 心の狭いおっさんだなぁ。 ちょっとしたコツくらい教えるのにムキになってるくらいなら大した腕じゃないんだろ(笑) 引用:メール原文 私たちも、食事を終えてすぐに店を出ましたが、大将も言い過ぎたと思ったのか終始無言でした。 職人さんは、それまでに絶え間ない努力を積み重ねて来た事で、一般人には理解できないプライドや意地はあるでしょう。 しかし、やはりものは言い様。 これがお客相手でなくても、人に何かを話す時や伝える時は、言い方一つで捉え方や感じ方が違うものです。 …

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「なんでこんな事も出来ないの!」次男の育児に疲れ、長女に当たってしまった私。その時涙ながら長女が言った言葉が頭から離れない

この経験は、私にとって強い後悔と反省が入り混じる、心苦しいものです。 しかし忘れてはいけないという自戒と、同じ様な状況にいる人に少しでも共有したく、綴っています。 私には3人の子供がいます。 6歳の長女と3歳の長男、1歳の次男です。 長女と長男の育児の経験もあり、次男の子育てが一番余裕を持って接せれると思っていたのですが、家庭の事でやることも膨大にあり、正直一番苦労をしながら家事と育児に奔走していました。 旦那にもできる範囲で協力はしてもらっていてとても感謝しているのですが、いつしか段々と余裕がなくなっていって、次第に家庭の中でギスギスとした雰囲気を出してしまっていたように思います。 そんな中、いつしか長女に、たくさんのことを求めるようになってしまいました。 家事の手伝いに長男の面倒見と、学校に入ったばかりにも関わらず、どこか長女に頼るようになる私。 それも感謝の気持ちよりも正直出来ないことに対しての「苛立ち」の方が大きく、長女への口調も少しずつ厳しくなってしまっていました。 ある日、学校から帰ってきた長女に、散らかっていた部屋の掃除を頼みます。 しかしそこで、テーブルにおいてあったコップを長女が落とし、割ってしまいます。 どこかでプツリとなった私。 「あーーーーーーもう!」 コップの破片を拾いながら長女に心配の声をかけることもなく、 「なんでこんな事も出来ないの!」 と怒鳴ってしまったのです。 すると、普段涙を見せない長女が、見た事もない程に、その場で大泣きをしたのでした。 そして、泣きながら私に、こう言ったのです。 普段全く泣かない、親の私から見てもとてもしっかりとした長女。 しかしこの時は、見た事もないくらい大泣きをしながら、私にこう言ったのでした。 「ごめんなさい」 「ママが大変だから楽にさせてあげたいのに、できなくてごめんなさい」 ハッとした私。 その時、気付いてしまったのでした。 私は、私に手伝いを頼まれた「長女の気持ち」なんて、今まで一度も考えたことがなかったのです。 やらなければいけない事があり、それを済ます為にあれこれ長女にお願いをしていました。 でも、それを聞いていた長女は、どう考えているんだろう?なんて、一度たりとも考えてなかった。 それなのに・・・ 長女は、ずっと私の手伝いのお願いを、「ママが大変だから楽にさせてあげたい」と思って、聞いてくれていたのです。 ずっと、私の事を想って。 …

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同棲中の彼とペットを飼う事に。しかしペットショップに誘うと、急に彼が表情を強張らせ考えもしない言葉を口にした。動物の命の大切さを考える

「大きな問題」だと世間で騒がれ、その瞬間は悲しみや怒りを共感しても、人という生き物はすぐにそんな感情を忘れてしまう生き物です。 いざ自分が当事者になっても、昔感じたあの感情など微塵も思い出せずに、そんな問題をずっと見落としながら生きてしまう事もあります。 私は、動物が大好きです。 小さい時から犬と猫を飼っていたのですが、大学入学を機に一人暮らしをしてからは、ペットとの生活とずっと離れていました。 ペットの元を離れてからも、動物に関するニュースや報道がされれば、手を止めてその映像や報道を見ています。 悲しいニュースもたくさんあり、そのニュースを見る度に、涙を流しながら悲しい感情に共感をしている私。 殺処分や、動物虐待の報道には、強く胸を痛めていました。 それから社会人になり、結婚を前提に交際をしている彼と一緒に住むようになります。 社会人生活も落ち着いたので、彼に、「猫飼いたい!」と、一緒にペットを飼う事を提案します。 すると思いの外、彼も乗り気に。 「やったー☆」なんて内心思いながら、彼をペットショップに誘います。 しかし、ちょっと前まで猫を飼うという事に賛成をしていた彼が、ペットショップに誘った途端に、表情を曇らせるのです。 「うーん、ちょっとなぁ…」 何かモヤモヤと考え込む様にし、やんわりと誘いを躱している様に思えました。 当然私としては、乗り気になっているこの気持ちが抑えられません。 ちょっと駄々を捏ねながら、なんとか彼をペットショップに連れ出そうと言葉を交わします。 「猫、飼いたくなくなったの?」 「いやそういうわけじゃないけど…」 「出かける事自体がいやって事?」 「いやそうじゃなくて…」 彼のはっきりしない態度に、少しずつ苛立ってしまう私。 そうして一向に会話が前に進まない事に、結局私がふてくされてしまったのでした。 そんな態度に気づいたのか、「ちょっと聞いて」と、私に話しかけます。 そしてその後に出てきた言葉は、私がその時全く考えもしなかった、思いがけない言葉だったのです。 猫を飼うなら、保健所から猫を引き取りたい 全然考えもしなかった言葉に、「えっ?」と聞き返してしまう私。 彼が考えていた事は、「もっともっと動物を大切に思わないと」という、私が考えていた動物愛よりもはるかに大切な事でした。 ペットショップにいる猫も犬も、もちろんすごく可愛い。 可愛いから、みんなほとんどちゃんと飼い主に引き取られるでしょ。 だから俺たちがそこで買わなくても、みんなちゃんと幸せになれると思うんだ。 …

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パパがご飯を食べない息子に「ある一言」!すると食事が楽しすぎる時間になった

全国のお父さん、お母さん。 お子さんをお持ちの皆さんは、一度はこんな経験をされたことがあるのではないでしょうか? 「子供たちが全く言うことを聞いてくれない・・・」 言うことを聞かず、走り回りながら様々な物を撒き散らす子供の行動に、お父さん、お母さんは片付けながら後を追うこともあるかと思います。 そんなとき、 「うちの子、本当に大丈夫かな?」 「育て方が悪いのかな?」 なんてネガティブな思いを募らせたこともあるかと思います。 今回ご紹介するのは、普段なかなか家に帰ってこれない多忙なお父さんが、走り回る我が子に諭したある言葉。 この言葉が子供の心に突き刺さり、そして子供の行動が改善され、そしてお母さんもその言葉から様々なことを感じ取る心温まるエピソードです。 皆さんはこのエピソードを読み、どう感じますか? 私には二人の息子がいます。 長男(太郎)は3歳半 次男(次郎)は1歳です。 最近長男が 『ごはん食べたくない!!たろう、おかし食べる!』 と、ろくに食事をしないで間食ばかりしてしまうのです。 その日もいつものように私と長男、次男の3人で夕食をとっていました。 手がかかる次男の近くに私が座って、困惑しながらも手づかみ食べを見守っています。 すると、玄関のドアが開きパパ(主人)が帰ってきました。 平日の子供たちの食事の時間に帰れることはとても珍しいので、子供たちは大はしゃぎでした。   しばらくしてごはんをまだ全体の2割も食べていないうちにいつものように長男が 『もうおなかいっぱーい! アイスにしよ!』 と言いました。   私は、こう言われることに慣れてしまっていたのと、次男がまき散らかすお米や汁物の処理に気を取られていて、この発言をあまり深く受け止めてあげられませんでした。   そこで主人がゆっくりと立ち上がりソファへ移動してから長男を呼びました。 …

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母親は未熟児として生まれた息子の近くに「手袋」を置いて帰る。翌日にその意味を知り看護師は感動した

2001年、ヤミール・ジャクソンさんは第一子となる子供の誕生を待ちわびていました。 妊娠の初期段階は順調に過ごすことができたのですが、6か月を過ぎたあたりから彼女は妊娠高血圧腎症と呼ばれる深刻な症状を抱えることになってしまったのです。 これは妊娠期に発生する症状で、血圧が非常に高くなってしまうというもの。 母子の健康状態を第一に考え、医師たちはこの段階で出産を敢行することを決断します。 このため、予定日から12週も早い段階で赤ん坊のザガローが誕生。 体重わずか1キロほどの未熟児として生まれたザカリーは、出産から155日もの間、集中治療室で過ごすことになりました。 ヤミールさんは毎日ザカリーのそばに寄り添いたいと思いますが、病院では夜間の面会が認められていません。 そのため、毎日息子と別れるたびに心が引き裂かれるような思いだったといいます。 何よりも、冷たくて無機質な集中治療室に小さな我が子を残していくのが辛かったそうです。 彼女が望んでいたのは、朝でも夜でも赤ちゃんを自分の腕に抱けるような環境でした。 小さなザカリーは常に愛情で包まれている状態を欲しているはずです。 そこでヤミールさんは、たとえ家にいても息子と「一緒にいる」ことはできないかと考え始めます。 そしてある夜、彼女が皿洗いをしていると、ふと近くにあったゴム手袋に目が行きました。 その瞬間ヤミールはあるアイディアを思いつき、それを試してみることにしたのです。 次の日、彼女は手袋にリンシードを詰め形を作り、病院に持って行きました。 そして、ザカリーのそばに座っている間ずっと手袋を肌身離さず持っていました。 やがて帰らなければならない時間が来ると、ヤミールは自分の匂いがしみついた手袋をザカリーのそばにそっと置いていったのです。 これでザカリーは一晩中母親のそばにいるという感覚を得られるかもしれないと考えたのです。 翌日、ヤミールさんが病院を訪れると、手袋に実際に大きな効果があったことを看護婦たちに知らされ驚きます。 ザカリーの心拍数と呼吸はこれまでと比べてはるかに安定し、今まで以上に穏やかに眠っていたというのです。 それ以降、ヤミールは「ザッキー」と命名したこの手袋を必ず帰る前にザカリーのそばに置いていくようになりました。 そして、ついにヤミールが息子を連れて自宅に戻ることができる日が訪れたのです。 そのとき、一人のナースがヤミールを呼び止め、その言葉にヤミールは再び驚くことになります。 ヤミールさんが持っていたこのザッキーをもっと作ってくれないか、と病院に依頼されたのです。 この病院では、集中治療室に入っている他の赤ちゃんにもこの方法を試せないか検討しているということでした。 この要請を受け、ヤミールさんは作業を開始します。 彼女は様々な素材や生地を使って、100種類ほどのザッキーを作り上げました。 その効果に多くの親や病院職員が驚くようになり、ザッキーは瞬く間に広がっていきました。 この手袋はすべての赤ちゃんに大きな効果を発揮し、やがてヤミールさんの元にザッキーを求める声が多数寄せられるようになったのです。 そして、予想をはるかに超えるザッキーの大ヒットを受け、ヤミールさんはザッキーを販売するため、Nurtured …

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