白血病で亡くなった後に気付いた娘からの70文字のLINE。数行に秘められた娘の思いに母は崩れ落ちる

2015年5月15日。 私の娘は天国へ旅立ちました。 若干17歳という若さで、この世を去ってしまいました。 白血病。 彼女が生まれてすぐに、元夫から延々と受けていた家庭内暴力(DV)に耐えきれず、離婚をしていた私は、娘と様々な苦節苦難を共にし、笑い支え合い生きてきました。 私一人では決して乗り越える事のできない困難も、娘がいつも励ましてくれたからこそやってくる事ができました。 いつも前向きで、いつも元気で、病気が判明したときだって一切弱音を吐かない娘でした。 常に前向きでポジティブな娘のおかげで、何度も勇気付けられてきました。 しかし、亡くなる数日前に容体が急変。 還らぬ人となったのです。 亡くなってすぐの1週間は、娘の死を受け入れる事が出来ず、自暴自棄になっていました。 何も手に付かず、悲しみに暮れ朝から夜まで意識がぼーっとしていたと思います。 しかし、丁度娘が亡くなって1週間ほど経った頃、あるモノを見つけたのです。 それは、LINE。 亡くなる前に、娘が私に宛てて送ったLINEでした。 娘にLINEでやり取りをしようと言われ、登録までしてもらったものの、いかんせんスマ−トフォンの使い方もまだ把握出来ていなかった私は、このLINEの存在に気付きもしなかったのです… 少しだけ心に余裕が出来、娘がスマ−トフォンでたくさん写真を撮ってくれていた事を思い出し、分からないなりに操作をしていた時です。 画面上のLINEアプリの所に、赤く「2」と表示されているのに気付き、見てみました。 するとその送り主は、娘。 LINEが送られた日時は娘が亡くなる2週間も前でした。 そしてその内容は、いつも強くポジティブで前向きな娘の本当の声と姿が書き出されていました… お母さん。 ゴメンね…本当にゴメンね… 迷惑かけてゴメンね… 生まれてきちゃって迷惑掛けちゃってゴメンね。

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【注文は小盛りの牛丼一つのみ】深夜の牛丼屋に入店した父娘に対して、店員が取った行動が後に大きく運命を変える事になった

時給は高いが、色々な種類の人間と接する機会の多い深夜帯のアルバイト。 その時間は来店するお客も少なくなるため、少人数での勤務も多くなります。 深夜帯での客層は、仕事上止むを得ずその時間に起きているという人もいますが、日中より全体的に少し柄の悪いお客が多いという現状があるのだとか。 しかし深夜の時間帯では、ときに一風変わったお客に出会うことも。 今回はそんな深夜帯のアルバイトで出会ったお客と、そこから繋がる心温まるエピソードを紹介させて頂きます。 殺伐とした今の世の中には珍しい店員の行動に、忘れかけていた人の暖かみを思い出させてくれる…そんな方も多いのではないかと思います。 昔の日本では当たり前だったことも、現在の日本では人間関係が希薄になり他人への関心も薄れていく一方。 そんな時代だからこそ、読んで頂きたい心温まるお話です。 自分も同じ状況に出くわしたら、同じように手が差し伸べられるか考えさせられました。 以下引用 少し前、資格とりたくて数年勤めた職場を退社してフリーターしながら資格の勉強をしていた。 バイト先は牛丼屋で、基本は22時から朝までのシフト。 2年前のちょうど今時、深夜1時頃にある父子が客で入ってきたんだ。 父親は30代くらい。子供は女の子でたぶん2才~3才くらいかな。 深夜にもかかわらず女の子は眠い感じがなく、活発に喋ってた。 お冷を持っていったら父親「ちょっと注文考えさせて下さい」と。 当時は1人シフトで地方都市の国道沿いの店なもんで他に客は無し。 父子の会話が明瞭に聞こえてきた。 娘「これナホちゃん食べたいなー」 父「ナホはこれ食べたいんだなー(財布の中身見て)いいよ、これ頼もうか!」 娘「ぎゅどんておいしいー?」 父「うん、すごくおいしいよー!」 呼び出しが鳴ったので注文を取りに行った。 父「すいません、この(小盛の牛丼)をひとつください」 俺「他にご注文は?」

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13年間共に過ごした愛犬が他界。悲しみの中、犬小屋を撤去すると紙キレが・・・信じられない事態で号泣する

私は大学卒業後、東京で就職。 地元の三重県から1人で出てきました。 東京に来たばかりは友達も少なく、常にホームシック状態で、毎日毎日実家に電話をしていました。 その中でも、やはりずっと思っていたのは子供の頃からずっと一緒だった愛犬のチロル。 私がペットショップで一目惚れして、ワガママを言い続けて買ってもらった犬でした。 いつどんな時でも隣にいて、私が辛い時や悲しい時もずっと側で優しく寄り添ってくれ、悲しい表情の時はペロペロと気遣う様に舐めてくれたり、辛い時は何も言わず側でゴロンと寝そべりながら上目遣いで心配そうに見守ってくれていたチロル…。 実家での想い出には、必ず側にチロルがいてくれました。 いつも、お母さんに電話をしては電話口にチロルを出してもらって元気をもらう。 お母さんの話では、私が上京してからは、心なしかチロルに元気が無くなってしまったそうです。 家の中だと全く動かなくなってしまったチロルの健康を気にかけ、外の庭にチロル専用の放し飼いに出来るスペースと冷暖房付きの犬小屋をこしらえ、家の中とはいつでも行き来ができる様にしてあげたそうです。 しかし、それでもやはり元気が無くなったのは、私が居なくなってしまったからだと… お母さんが驚いていたのは、不思議と私が電話越しに話しかけると尻尾を目一杯振って喜んでいたという事。 しかし、上京してしばらくすると、こちらでも友達が出来、段々と生活に慣れ始め実家に電話をする回数もどんどん減ってしまいました。 その時は気付かないものですが、後にとてつもなく後悔をする事に。 上京して約一年が経った頃、ある日実家から一本の電話が…。 仕事の昼休憩中だったので、用件だけ聞こうと急かすと、お母さんの口から悲しげな声とともに一言。 チロル、死んじゃったよ。 チロル、息しなくなっちゃったよ。 母からの電話 私は、全ての時が止まったのを覚えています。 昼休憩中賑わう社内食堂の中、呆然としました。 そして同時に今までチロルと過ごした日々が走馬灯のように回想しました… 仕事にも慣れ、こちらの生活に慣れ始めてから、気付けば一度も実家に電話をしていませんでした。 チロルは、それから明らかに元気が無くなっていったそうです… お母さんが誰かと電話をする度に、私だと思いジッと見つめて期待している様な表情を浮かべていたそうです。

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理不尽な理由で老夫婦の客をバカにする寿司屋の主。それを見た隣の若いカップルは店主に言及。その言葉は今どきの若者では珍しい粋な内容だった。

東京都にお住まいの方からのお話をご紹介させていただきます。 私は東京都で会社員をしている者です。 先日取引先の付き合いで都内地下鉄の大江戸線のある駅に隣している寿司屋(駅名と店名は伏せておきます)で食事を取ったのですが、そこである出来事に出くわしました。 お店は12時ちょっと過ぎくらいということもあり席はほぼ満席で、私たちは長テーブルで2組の方と相席で座ることに。 その相席させていただいた方は、どこにでもいそうな老夫婦二人と若いカップル。 先にそちらの夫婦とカップルが注文をしていたので、私たちが席について間もなくお寿司が運ばれてきました。 ネタが輝き、しっかり握られたシャリを見て「旨そうだなぁ」と、見とれていました。 そうこうしていると、私たちにも注文したお寿司が届けられてきました。 届けてくれた大将らしき人に「ありがとう」と伝え、さぁ食べようと箸に手を伸ばした時、この大将に相席をしている老夫婦の女性が話しかけたことで今回の出来事が起こるのです。 女性が大将に「この鉄火巻き、本当に美味しいですね。お家でも、こんな風にお寿司を作りたい時はどうやったらいいですか?コツありますか?中々素人には難しいですかね…」と話しかけました。 すると大将はこの女性に向かって「笑わせるね。そりゃ無理だわ、当たり前。」とぶっきらぼうに答えたのです。 この女性は、本当に美味しいからちょっとしたコツがあればと思い聞いたのでしょうが、大将のまさかの返しにたじたじ。 続けて大将は「そんなもんこちとら延々と修行重ねてやってきてるんだ。やすやすとコツなんぞ教えれたら苦労ないもんだ。」と嫌味に小笑いして言い放ちます。 もちろん、プライドや魂を持ってお寿司を握っている大将の気持ちも分かりますが、何も客に向かってそんなに言わなくていいのに…と思いながら私は気分悪くなりつつ黙ってお寿司を食べていたのですが、まだ大将は言い足りなかったのかさらに女性に嫌味ったらしくぐちぐちと話します。 ちょっと聞いただけなのに、ここまで言われると思っていなかった女性は食べかけの鉄火巻きにも手をつけず、すみませんと恐縮するばかり。 さすがに言い過ぎだろ!と不快に感じた私は大将に一言いってやろうと決意した瞬間、横にいた若いカップルが先に口を開いたのです。 あー不味い。 なんだここ。 くそまじーわ。 回転寿司のがよっぽど美味いな。 帰ろうぜー。 引用:メール原文 こう店中に響く声で言い放ちながら席を立ち、続けてさらに大将に向かって逆に嫌味を言いながらお店を後にします。 心の狭いおっさんだなぁ。 ちょっとしたコツくらい教えるのにムキになってるくらいなら大した腕じゃないんだろ(笑)

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パパがご飯を食べない息子に「ある一言」!すると食事が楽しすぎる時間になった

全国のお父さん、お母さん。 お子さんをお持ちの皆さんは、一度はこんな経験をされたことがあるのではないでしょうか? 「子供たちが全く言うことを聞いてくれない・・・」 言うことを聞かず、走り回りながら様々な物を撒き散らす子供の行動に、お父さん、お母さんは片付けながら後を追うこともあるかと思います。 そんなとき、 「うちの子、本当に大丈夫かな?」 「育て方が悪いのかな?」 なんてネガティブな思いを募らせたこともあるかと思います。 今回ご紹介するのは、普段なかなか家に帰ってこれない多忙なお父さんが、走り回る我が子に諭したある言葉。 この言葉が子供の心に突き刺さり、そして子供の行動が改善され、そしてお母さんもその言葉から様々なことを感じ取る心温まるエピソードです。 皆さんはこのエピソードを読み、どう感じますか? 私には二人の息子がいます。 長男(太郎)は3歳半 次男(次郎)は1歳です。 最近長男が 『ごはん食べたくない!!たろう、おかし食べる!』 と、ろくに食事をしないで間食ばかりしてしまうのです。 その日もいつものように私と長男、次男の3人で夕食をとっていました。 手がかかる次男の近くに私が座って、困惑しながらも手づかみ食べを見守っています。 すると、玄関のドアが開きパパ(主人)が帰ってきました。 平日の子供たちの食事の時間に帰れることはとても珍しいので、子供たちは大はしゃぎでした。   しばらくしてごはんをまだ全体の2割も食べていないうちにいつものように長男が 『もうおなかいっぱーい! アイスにしよ!』

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「6ヵ月の自分の子供が嫌いになりそう…」育児に悩む母の悲痛の相談へのベストアンサーに涙が溢れる

育児をしていると、本当に驚くほどたくさんの出来事が起こります。 楽しいことや嬉しいこともたくさん。 しかし中には、悩んだり、苦しんだりといった、子を育てる経験を通じてじゃなければ想像もつかない苦悩を抱くこともあるのも事実です。 先日、ネットの相談掲示板に、初育児のママの相談が書き込まれました。 生まれて6ヶ月の娘の育児をしているその母親の悲痛な相談は、多くの人の目に止まることになりました。 Q.6ヵ月の自分の子供が嫌いになりそうです…。 今月末で6ヵ月になる娘が居ます。初育児です。 娘は新生児の頃から本当によく泣き、本当に寝てくれなくて、ずっとずっと抱っこの子でした。 6ヵ月の今でも昼寝はまだ下手で、常に抱っこで二時間くらい揺れています。 二時間寝るとまあまあご機嫌なので、寝かせたいんですが、でも眠りが浅く20分とかで起きちゃう事もあり、そうするともう1日ほぼずっと眠グズりです…。 寝かせてるのに、寝ない。抱っこすると泣き止み窓の外を見つめていたりするので、眠くはないのかなと思い下ろすと、目をこすりながら大泣きします。 ベビーカーというか抱っこ紐でも外では絶対寝てくれず(新生児の頃は外の方が寝てましたが)、昼寝がうまく出来ずに外に出てしまうと、駅でも電車でもバスでも何処でも息が止まりそうな程泣きます。 友達の子供を何人も見てきましたが、ここまでここまで泣く子は見た事がありません。 最近になり人見知りも出てきたのと、音に敏感なのでビックリするとまた息が止まりそうな程泣きます 生まれたばかりから、おっぱいにうまく吸い付けず、泣いて怒り、でも頑張り、搾乳し、とやりましたが結局満2ヶ月まで頑張り完ミにしたので添い乳も出来ません。 おしゃぶりも嫌がり、すぐに手で取ります。 なんだか、新生児の頃のおっぱいから始まり、この子は私を困らせる為に産まれてきたのか、なんで友達の子の様にベビーカーでいつの間にか寝るという事が出来ないのか、せめておしゃぶりくらいしてくれないのか…ともう毎日毎日朝始まるのが嫌で、外に出るのが嫌で、大人しい赤ちゃんを見て羨ましがる自分が嫌で、我が子を憎たらしく思ってしまう自分も嫌で、なんか全てが嫌です…。 私が怒るからなのか、私より旦那があやす方が笑います。 私の場合は笑顔だけ、旦那の場合は声出してけらけら笑います。それもイライラします… 大変な時間に面倒見てるあたしより、帰宅後ちょこっと遊ぶだけの父親の方がいいのかと。 元々子供は大好きです。欲しくてたまりませんでした。 なのに、今は貧乏くじを引いたとまで考えてしまう自分が居ます。 この先、いつか楽になるとよく言われますが、想像つきません。 スーパーで寝っころがって大泣きする様な子供に育ちそうで不安です。 私が抱っこしすぎなんでしょうか。

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母が作った料理が大失敗…。その時の父の一言が一生頭から離れない。

皆さんの幼いころの食事の風景ってどんなものでしたか? 幼い頃の夕飯の時間は、だいたい一家団欒でワイワイと食事をし、温かい空気が流れていたのではないでしょうか。 しかし、時にはその場が凍りつくようなハプニングが起きることもありますよね。 今回ご紹介するのは、一人の男性が少年時代に体験した心温まるエピソード。 当時少年だった男性は、この時のことが脳裏に焼き付いていて、今でもハッキリと覚えているといいます。 一体どんなハプニングが起きたのでしょうか? その日はいつものようにお母さんはキッチンで家族の夕飯を作っていました。 仕事から帰宅したこの日のお父さんは、普段以上に疲れた様子でクタクタになっていたそうです。 夕飯のメニューはシチューとトースト。 しかし、目の前に出されたトーストを見て、少年は息を飲みました。 こんがり美味しそうとは決して言えない、真っ黒な石炭をスライスしたようなトーストだったのです。 私はなんて言っていいのかわからず、お父さんの言葉を待ってみる事にしました。 疲労困憊のお父さんがどう反応するのかビクビクし不安に思っていると、お父さんは何も言わずにそっとトーストを手に取り、ハーブ入りのバターをぬって美味しそうに食べ始めたのです。 何事もなかったかのようにたっぷりのシチューと共に食事を始めたお父さんは、黒焦げになったパンを頬張りながら、いつものように僕に今日は学校でどうだったのか、宿題は終わったのかと話してきました。 私は何て答えたかはもう覚えていないが、その後に起きた出来事を私は一生忘れることができないと思う。 お母さんは何も言わずに食べ始めたお父さんに対し罪悪感を感じたのか、焦げたパンについて謝り始めたのです。 しかし、お父さんは落ち着いた様子で、 「何を言っているんだい、ハニー。僕の一番好きな焼き加減だよ」 とニッコリ微笑んだのです。 その晩、お父さんが私の部屋に来て、おやすみのキスをしてくれた時に、本当に焦げたパンが好きなのか聞いてみました。 お父さんは少年をそっと抱きしめてこう言いました。 『いいかい?ママは今日とっても疲れているんだ。こんな失敗毎日あるわけじゃないだろ?たまにはパンが焦げる事だってあるさ。』 『それにね、少しぐらい焦げたパンを食べたって何も悪いことはないんだよ。悪いのは、間違った時に間違った事を言ってしまうことだ。』 お父さんは強く私を抱きしめて、 『これからの人生、思い通りにいかないことが沢山出てくる。人間は完璧な生き物じゃないんだ。』

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涙が止まらない…交通事故で脳に重大な損傷。植物人間となった6歳の少年を救った、一匹の犬が起こした奇跡

アメリカ・ユタ州で生まれた、一つの奇跡。 カレブ・ハワード君という、6歳の少年がいました。 その少年は不幸にも交通事故に巻き込まれ、何とか一命だけは取り留めたものの、全身骨折に加え、脳にも重い損傷を負ってしまいます。 意識不明の重体。 誰の呼びかけにも応じない植物人間状態となってしまい、医師からも家族からも、回復は絶望視されていました。 そんな時、一つの出会いが、意識のないカレブ君の元に生まれます。 カレブ君の両親に紹介された、一匹の犬。 「セラピードッグ」という、特別な訓練を受けた、カーネルという犬と出会ったのでした。 動く事も話す事もできないカレブ君。 誰の呼びかけにも応じないその状況をなんとか打開しようと、両親はカーネルに望みを託すのです。 セラピードッグのカーネルと出会ったカレブ君。 今まで、誰の声にも応じる事はありませんでした。 しかし・・・ここで、誰もが思いもよらなかった奇跡が起こります。 なんと、カーネルを見た瞬間、今まで何一つ挙動を見せなかったカレブ君の瞳がカーネルを見るのでした。 カーネルが寄り添い続けていると、カレブ君は少しずつ周囲の出来事の反応するようになります。 カーネルが触れるくらいの距離で一緒に眠ると、カレブ君はカーネルを触ろうと一生懸命腕を伸ばし、指を動かすのです。 医師も予想もできなかった、カーネルが起こした奇跡。 カーネルが寄り添い続ける事で、カレブ君はどんどんと生気を宿していきます。 そしてついに・・・ カーネルの隣を、共に歩けるようになる日が訪れるのでした。 カレブ君は、脳に重度な損傷を負ったり、全身骨折となったりと、身体的に大きなダメージを受けました。 しかしそれと同時に、あまりに過酷で厳しい状況に心の内側の支えが折れて、回復をしようという意志すらをなくしてしまう事があるそうです。 そうした状況だったからこそ、誰がどのような呼びかけをしても、意志がなくなってしまっていたカレブ君は呼応しなかったのかもしれません。 しかし、そんなカレブ君の心にスッと寄り添った、セラピードッグのカーネル。 「カーネルに触れたい」

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【1年後】野生に還したライオンに会いに行くと…育ててくれた2人を憶えているのか?

1969年、ロンドンのある百貨店に客寄せのために開設されていた「動物売り場」で、ライオンの赤ちゃんがとても小さな檻に入れられて売られていました。 これを見た二人のオーストラリア人青年は不憫に思い、買い取って自分たちがアルバイトしていたアンティーク家具屋で飼うことに。 クリスチャンと名付けられた赤ちゃんライオンは、引き取られた1年後には80キロ以上に成長。このままロンドンで一緒に生活するのは無理だろうと判断した二人は、クリスチャンを「アフリカの自然」に帰す計画を立て始めました。 二人はケニアにいた野生保護活動家のジョージ・アダムソン(en:George Adamson)と、映画『野生のエルザ』で主演を務めたビル・トラヴァース、ヴァージニア・マッケンナ夫妻の助けを借りることに。クリスチャンを自然へ帰すリハビリが行われた後、あくまで人の管理下にある土地へと放されました。ちなみに、その土地は他の野生からはみ出てしまったライオンも複数いる環境です。 二人はケニアにいた野生保護活動家のジョージ・アダムソン(en:George Adamson)と、映画『野生のエルザ』で主演を務めたビル・トラヴァース、ヴァージニア・マッケンナ夫妻の助けを借りることに。クリスチャンを自然へ帰すリハビリが行われた後、あくまで人の管理下にある土地へと放されました。ちなみに、その土地は他の野生からはみ出てしまったライオンも複数いる環境です。 1年後、二人はクリスチャンに会いに再びケニアを訪れました。この際、野生に戻ったクリスチャンが二人の事を覚えている可能性は極めて少ないと忠告され、本人たちも当然そうあるべきだと考えていました。 しかし、ジョージに名前を呼ばれ現れたクリスチャンは、再会した二人のことをはっきりと覚えており、駆け寄ってまるでネコのようにじゃれあう感動の再会を果たしたのです。 さらに翌年1972年にも二人はクリスチャンと再会を果たしました。この時クリスチャンは体格も更に大きくなっており、精神的にも、もう大人のライオンに成長していたため、きちんと挨拶はしてくれたものの前年のように無邪気に飛びつくことはなかったそう。 さらに翌年の1973年にもジョンだけ単独でケニアを訪れましたが、クリスチャンには会えませんでした。野生のライオンとの争いの影響もあってクリスチャンは生活エリアを移動せざるを得なかったためだと言われ、73年あたりを最後にクリスチャンの姿を見た者はいません。

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『当然のことをしただけ』NY爆破現場で厳戒態勢の警察官に行った”ある行為”で市民が立ち上がる

2016年9月17日午前中、米ニューヨークで起こった爆破事件。 29人が重軽傷を負い街中は厳戒態勢、警察官が立ち並んでいる状況です。 19日には警察官との銃撃戦の末、犯人の一人が逮捕され、一時場は収束しました。 テロなのか事件なのかは不明ですが、緊張感に包まれる中、ある男性の行動が注目を集めています。 現場にいた警察官やニューヨーク市消防局の職員に、一人の男性が近づいていきます。 その手には紙袋。 そして、この男性はこの紙袋を差し出したのです。 男性は警察官たちに何を渡したのでしょうか? なんと男性は安全を守るために奮闘する警察官や消防局員に、コーヒーや食べ物の差し入れを持ってきたのです! 突然の差し入れに警察官や消防局員も、とても嬉しそうです。 こちらがその一部始終を捉えた映像です。 ジャーメインさんは 『もっとたくさん持ってこられたらよかったんだけど…』 と、少量しか持ってこれなかったことを悔やんでいたそうですが、その心遣いに警察官たちはとても感謝したのではないでしょうか。 この映像を見たユーザーからは、 ・彼は真のニューヨーカーが非常事態にどう振る舞うか知っているね ・この国も捨てたもんじゃない。彼の行いを見習うべきだわ ・私は、かつてジャーメインさんの元で働いていました。彼はスタバの店長なんですが、とても親切で心の大きな人なのよ。彼の元で働いていたことは私の自慢だわ! と語っています。 かつて彼と一緒に働いたことのある人からのコメントもあり、ジャーメインさんがどれほど温かい心の持ち主かが伺えますね。 この行動は、海外メディアにも取り上げられ『KnightNews.com』にコメントを求められたジャーメインさんは、 私は当然のことをしただけです。 彼らは何時間もぶっ続けで捜査にあたる。そんな彼らに、ただコーヒーを差し入れただけ。そのことがこんなに大きなニュースになるだなんて、驚いてます。 ただ、私たちはお互いに親切にしあわなければいけない。悪いことをしたら人に謝ったり、困っている人がいたら手を差し伸べたり、電車で席を譲ったり。 そういった行為が積み重なって、世界がよくなっていくことを願っています。

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