引きこもりを5年間続けた21歳の息子が突然リビングへ・・・そこで渡された『アル物』に泣き崩れる。

私の息子は、現在21歳。 16歳の頃から、丸5年間引きこもっています。 高校でいじめに遭い、それ以来学校もやめ、引きこもり始めました。 いじめから救ってあげられなかった私たち夫婦のことも相当恨んでいる様子を見せ、トイレと風呂・食事を受け取る時以外、一切私たちとも口を利きません。 何度も声をかけ、外の世界に戻してあげたいと努力を重ねましたが、力不足なのか、息子の心の壁を開くことができませんでした。 高校の教師、カウンセラー、精神科医など、あらゆるところに相談しても、いずれも効果はなし。 どうすればいいのかわからず、妻も精神を病みそうになるほど、家庭の雰囲気は最悪なものでした。 絶対に返事が返ってこないことがわかっているのに、なんとか諦めず、声をかける日々。 そんな私も正直、気持ち的にとてもギリギリな状態でした。 そんな日々が5年続いた、つい先日。 今までリビングに息子が来ることなど一切なかった息子が、何かを持って、突然リビングにやってきます。 「どうした・・・?」 突然やってきた息子に、なんて言葉を投げかけていいかもわからない。 妻も驚きながら、私のところにやってきました。 息子がきたことに戸惑いを感じてしまう自分にも、強い嫌気がさします。 すると息子は、ボソッとした声で、「これ」と言いながら、手に持っていたものを差し出し、再び部屋に戻っていきました。 息子が渡してきたのは、何か文字が書き綴られている、一枚の紙きれ。 そこには、私たちを思いやる、優しくも儚い息子の心の声が綴られていました。 お父さん、お母さん こんな息子に毎日食事を作ってくれてありがとう こんな息子に毎日声をかけようとしてくれてありがとう こんな息子に毎日生きてと思ってくれてありがとう このままじゃだめなのは、自分自身よくわかってる けど、自信がない 人と話すのも、触れるのも、本当にすごく怖い

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引きこもりを5年間続けた21歳の息子が突然リビングへ・・・そこで渡された『アル物』に泣き崩れる。

私の息子は、現在21歳。 16歳の頃から、丸5年間引きこもっています。 高校でいじめに遭い、それ以来学校もやめ、引きこもり始めました。 いじめから救ってあげられなかった私たち夫婦のことも相当恨んでいる様子を見せ、トイレと風呂・食事を受け取る時以外、一切私たちとも口を利きません。 何度も声をかけ、外の世界に戻してあげたいと努力を重ねましたが、力不足なのか、息子の心の壁を開くことができませんでした。 高校の教師、カウンセラー、精神科医など、あらゆるところに相談しても、いずれも効果はなし。 どうすればいいのかわからず、妻も精神を病みそうになるほど、家庭の雰囲気は最悪なものでした。 絶対に返事が返ってこないことがわかっているのに、なんとか諦めず、声をかける日々。 そんな私も正直、気持ち的にとてもギリギリな状態でした。 そんな日々が5年続いた、つい先日。 今までリビングに息子が来ることなど一切なかった息子が、何かを持って、突然リビングにやってきます。 「どうした・・・?」 突然やってきた息子に、なんて言葉を投げかけていいかもわからない。 妻も驚きながら、私のところにやってきました。 息子がきたことに戸惑いを感じてしまう自分にも、強い嫌気がさします。 すると息子は、ボソッとした声で、「これ」と言いながら、手に持っていたものを差し出し、再び部屋に戻っていきました。 息子が渡してきたのは、何か文字が書き綴られている、一枚の紙きれ。 そこには、私たちを思いやる、優しくも儚い息子の心の声が綴られていました。 お父さん、お母さん こんな息子に毎日食事を作ってくれてありがとう こんな息子に毎日声をかけようとしてくれてありがとう こんな息子に毎日生きてと思ってくれてありがとう このままじゃだめなのは、自分自身よくわかってる けど、自信がない 人と話すのも、触れるのも、本当にすごく怖い

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暴走族の兄が他界…遺品の整理中、全てに鍵が掛かった不思議な引き出し。その中には”絶対バレたくなかった物”が敷き詰められていた

私には、兄がいます。 とは言っても、もう10年以上前に他界してしまいました。 死因は交通事故。 バイクで大型トラックの車両後部に激突し、即死でした。 当時、兄は17歳。 地元でも有名な暴走族のリーダーを務めていたらしく、近所のみならず周囲からはかなり恐れられていた存在だった。 元々はすごく優しく、弟の私に対しても面倒をよく見てくれて遊んでくれていた兄ですが、中学校2年生頃から急に悪へと方向を間違えてしまったのです。 学校へも急に行かなくなり、家にもたまにしか帰って来なくなった兄。 「一体何があったのだろう…」 元々は明るく笑顔で運動が大好きな性格だった兄は、友達からも人気の活発的な好少年。 それが急に変貌してしまったので、家族も私も困惑を隠しきれませんでした。 家には、警察から電話が掛かってくる事なんて日常茶飯事。 ・暴走行為 ・喧嘩 ・窃盗 両親は、兄の犯した様々な所業で警察へ呼び出しをされていました。 たまに家に帰ってきては母親と父親と言い合いになり大げんか。 あんなに優しかった兄は、その時既に私とは口も利いてくれなくなっていました。 兄が悪の道へ進み、見た事のない特攻服のような服を身に纏い単車で家を出て行く姿を見て、母が泣いている姿を何度か見た事だってあります。 なんでこんなに家族を悲しめる事をするんだ。 私は、徐々に大好きだった兄に対して怒りを覚える様になり、ハッキリと兄に立ち向かって、もう 家族を悲しませる様な事をするのはやめるように言ったのです。 すると、兄は怒るわけでもなく意味深にこんな言葉を返してきました。 お前には分からんよ。 戻れない状況と今更なんて言っていいかも分からない所まで来ちゃったんだ。

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『他界したはずのパパが結婚式に!?』娘に”少しだけ”会いにきた…16年越しに知った”パパの真実”に涙が止まらない

人生の大事な節目となる結婚。 その結婚という瞬間を、より私たちの心に色濃く焼き付けるのが結婚式ですよね。 そんな人生の幸せな瞬間に立ち会えるというのは、友人や職場の仲間にとっても嬉しいことです。 ましてや、両親にとっては最幸の瞬間とも言えるのではないでしょうか。 子供を授かった時から、その瞬間に立ち会えることを夢見ている両親はたくさんいると思います。 しかし、その瞬間に立ち会うことができない方も現実にはたくさんいます。 今回ご紹介する実際にあったエピソードも、娘さんが幼い頃にお父さんがバイク事故で亡くなりました。 しかし、結婚式の途中で突然懐かしいお父さんの声が… 涙なしでは見られない号泣必須の感動の実話をご覧ください。 私はつい先日に同い年(21歳)の彼と結婚しました。 12月には長男が産まれます。 まず、私の大好きなパパの紹介をさせて下さい。 私のパパは、同い年のママと19歳の時に結婚して、その年の冬に私を産みました。 いわゆる出来ちゃった結婚ですね(笑) パパは高校へは行かずに、16歳の頃からバイクのレーサーを目指していたみたいですが、怪我でプロの夢は諦めたみたいです。 そんなバイクが大好きなパパが選んだ仕事がバイクで書類を配送する仕事でした。(当時はテレビ局のプレス(?)と私には言っていました。) ママと結婚する時に、両方の両親からは大反対されたみたいです。 普通に考えて、家族を支える仕事としては、事故とか心配になりますよね。 でもパパは、ママの両親に「自分は命を懸けて仕事をして、命を懸けて家族を守るんです!それが自分なんです!」と言って反対を押し切ってママと結婚したそうです。 でもそんな言葉が無残にも現実になってしまったのです。 パパは休みの日は絶対に私と遊んでくれました。 ご飯も一緒に家族全員で食べていました。 私のワガママも全部聞いてくれて、私が自転車の練習を始めた頃(4歳)には朝から夕方までずっと公園で一緒に練習してくれました。 雨でも晴れでも雷が鳴っても、絶対に保育園に迎えに来てくれました。 亡くなる前は、パパと毎日お風呂に入って、パパの細い腕枕で寝ていました。

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幼いライオンを救った男性。野生に戻ったライオンに数年ぶりに会いに行くと、ライオンの見せた反応に世界が涙…。

皆さんの飼っているペットたち。 普段から一緒に生活をしているため、お互いの信頼の強さを感じる瞬間ってあるのではないでしょうか? 動物は、情に厚く、時に私たち人間と同じような行動をすることもあるのです。 今回ご紹介するのは、自然保護NPO団体の一員であるバレンティンさんと、メスのライオン「シルガ」の感動の再会を果たした映像です。 バレンティンさんは、当時子供であったシルガを保護しました。 そして、成長したシルガは野生へと帰り、今も野生で元気に過ごしています。 そんなシルガへ数年ぶりに会いに行ったバレンティンさん。 久々の再会に、バレンティンさんも興奮をしていますが、シルガも同じように再会を心待ちにしていたようです。 人と動物を隔てる柵を開けると、シルガはまるで猫のように飛びついてきたのです。 その後も、バレンティンさんに抱きつきながら、まるで「会えなくて寂しかった」と言っているかのように、バレンティンさんに体を擦り付けます。 それに応えるようにバレンティンさんはシルガの体を撫でます。 幼少のころに助けてもらったこと、愛情を注いでもらったことをしっかり覚えていたということですね。 しかし、体の大きくなったライオンのシルガが、無邪気に飛びつく行動をするなんて、思いもしなかったです。 この姿を見ると、バレンティンさんとシルガは強い絆で結ばれているというのがよくわかります。 バレンティンさん、これからもシルガに時々顔を見せてあげてくださいね☆

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13年間共に過ごした愛犬が他界。悲しみの中、犬小屋を撤去すると紙キレが・・・信じられない事態で号泣する

私は大学卒業後、東京で就職。 地元の三重県から1人で出てきました。 東京に来たばかりは友達も少なく、常にホームシック状態で、毎日毎日実家に電話をしていました。 その中でも、やはりずっと思っていたのは子供の頃からずっと一緒だった愛犬のチロル。 私がペットショップで一目惚れして、ワガママを言い続けて買ってもらった犬でした。 いつどんな時でも隣にいて、私が辛い時や悲しい時もずっと側で優しく寄り添ってくれ、悲しい表情の時はペロペロと気遣う様に舐めてくれたり、辛い時は何も言わず側でゴロンと寝そべりながら上目遣いで心配そうに見守ってくれていたチロル…。 実家での想い出には、必ず側にチロルがいてくれました。 いつも、お母さんに電話をしては電話口にチロルを出してもらって元気をもらう。 お母さんの話では、私が上京してからは、心なしかチロルに元気が無くなってしまったそうです。 家の中だと全く動かなくなってしまったチロルの健康を気にかけ、外の庭にチロル専用の放し飼いに出来るスペースと冷暖房付きの犬小屋をこしらえ、家の中とはいつでも行き来ができる様にしてあげたそうです。 しかし、それでもやはり元気が無くなったのは、私が居なくなってしまったからだと… お母さんが驚いていたのは、不思議と私が電話越しに話しかけると尻尾を目一杯振って喜んでいたという事。 しかし、上京してしばらくすると、こちらでも友達が出来、段々と生活に慣れ始め実家に電話をする回数もどんどん減ってしまいました。 その時は気付かないものですが、後にとてつもなく後悔をする事に。 上京して約一年が経った頃、ある日実家から一本の電話が…。 仕事の昼休憩中だったので、用件だけ聞こうと急かすと、お母さんの口から悲しげな声とともに一言。 チロル、死んじゃったよ。 チロル、息しなくなっちゃったよ。 母からの電話 私は、全ての時が止まったのを覚えています。 昼休憩中賑わう社内食堂の中、呆然としました。 そして同時に今までチロルと過ごした日々が走馬灯のように回想しました… 仕事にも慣れ、こちらの生活に慣れ始めてから、気付けば一度も実家に電話をしていませんでした。 チロルは、それから明らかに元気が無くなっていったそうです… お母さんが誰かと電話をする度に、私だと思いジッと見つめて期待している様な表情を浮かべていたそうです。

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新幹線でぐずりだした赤ちゃん。そこに通りかかった明石家さんまが取った行動が神対応過ぎる…が、オチがスゴかった。

電車やバス、新幹線の中で子供が泣いてしまい、車内に声が響き渡り、緊迫した空気になってしまった…なんて状況経験をされたことはありませんか? そういった状況のとき、周囲に迷惑をかけていると思い、必死に子供をあやすママたちの姿をよく見かけるかと思います。 そんなよく見かける状況、普段ではあり得ないような出来事が起きたのでした。 この出来事の中に登場したのは、『明石家さんま』さん。 明石家さんまさんは、ファンをとても大事にすることで有名で、どんなときでもサインなどを拒否しない、”国民に愛される大物芸能人”ですよね。 そんな明石家さんまさんが居合わせた新幹線の車内で、泣きじゃくってしまう子供の姿があったようです。 泣きじゃくる子供に対し、明石家さんまさんならではの温かい行動をされたようで、その出来事の詳細をツイートしたところ、瞬く間に広がり、多くの人から賞賛を浴びることとなりました。 しかも、たまたま明石家さんまさんが居合わせていたことだけでも衝撃的なことなのですが、実はこの子供の母親、知る人ぞ知る『あの人』だったというオチもあり、大きな話題となっています。 今回、そんな明石家さんまさんならではの『温かい行動』をご紹介します。 この出来事は、ある新幹線のグリーン車で起きたのでした。 なんと、泣きじゃくる子供を笑顔にするために、わざわざおもちゃを買ってきてあげて、プレゼントしたのでした。 その結果、子供は最高の笑顔で飛び跳ねて喜んでいたとのこと。 そして、この子供の母親は、なんと『倖田來未』さんだったそうです! 明石家さんまさんは、倖田來未さんの息子さんだったからこんな対応したのでは?なんてコメントも寄せられていますが、明石家さんまさんは、一般人の方と気さくに写真やサインに応じるほどファンを大切にしています。 明石家さんまさんに出会って、とんでもない神対応を目の当たりにし、更にその相手が倖田來未さんだったなんて、ダブルで衝撃ですね! ファンを大切にする姿勢が滲み出ているからこそ、今も尚変わらぬ人気なのでしょう。 これからも多くの人に愛される『みんなのさんまさん』でいてください。 明石家さんまさんならではの対応ですね。

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「なんでこんな事も出来ないの!」次男の育児に疲れ、長女に当たってしまった私。その時涙ながら長女が言った言葉が頭から離れない

この経験は、私にとって強い後悔と反省が入り混じる、心苦しいものです。 しかし忘れてはいけないという自戒と、同じ様な状況にいる人に少しでも共有したく、綴っています。 私には3人の子供がいます。 6歳の長女と3歳の長男、1歳の次男です。 長女と長男の育児の経験もあり、次男の子育てが一番余裕を持って接せれると思っていたのですが、家庭の事でやることも膨大にあり、正直一番苦労をしながら家事と育児に奔走していました。 旦那にもできる範囲で協力はしてもらっていてとても感謝しているのですが、いつしか段々と余裕がなくなっていって、次第に家庭の中でギスギスとした雰囲気を出してしまっていたように思います。 そんな中、いつしか長女に、たくさんのことを求めるようになってしまいました。 家事の手伝いに長男の面倒見と、学校に入ったばかりにも関わらず、どこか長女に頼るようになる私。 それも感謝の気持ちよりも正直出来ないことに対しての「苛立ち」の方が大きく、長女への口調も少しずつ厳しくなってしまっていました。 ある日、学校から帰ってきた長女に、散らかっていた部屋の掃除を頼みます。 しかしそこで、テーブルにおいてあったコップを長女が落とし、割ってしまいます。 どこかでプツリとなった私。 「あーーーーーーもう!」 コップの破片を拾いながら長女に心配の声をかけることもなく、 「なんでこんな事も出来ないの!」 と怒鳴ってしまったのです。 すると、普段涙を見せない長女が、見た事もない程に、その場で大泣きをしたのでした。 そして、泣きながら私に、こう言ったのです。 普段全く泣かない、親の私から見てもとてもしっかりとした長女。 しかしこの時は、見た事もないくらい大泣きをしながら、私にこう言ったのでした。 「ごめんなさい」 「ママが大変だから楽にさせてあげたいのに、できなくてごめんなさい」 ハッとした私。 その時、気付いてしまったのでした。 私は、私に手伝いを頼まれた「長女の気持ち」なんて、今まで一度も考えたことがなかったのです。

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同棲中の彼とペットを飼う事に。しかしペットショップに誘うと、急に彼が表情を強張らせ考えもしない言葉を口にした。動物の命の大切さを考える

「大きな問題」だと世間で騒がれ、その瞬間は悲しみや怒りを共感しても、人という生き物はすぐにそんな感情を忘れてしまう生き物です。 いざ自分が当事者になっても、昔感じたあの感情など微塵も思い出せずに、そんな問題をずっと見落としながら生きてしまう事もあります。 私は、動物が大好きです。 小さい時から犬と猫を飼っていたのですが、大学入学を機に一人暮らしをしてからは、ペットとの生活とずっと離れていました。 ペットの元を離れてからも、動物に関するニュースや報道がされれば、手を止めてその映像や報道を見ています。 悲しいニュースもたくさんあり、そのニュースを見る度に、涙を流しながら悲しい感情に共感をしている私。 殺処分や、動物虐待の報道には、強く胸を痛めていました。 それから社会人になり、結婚を前提に交際をしている彼と一緒に住むようになります。 社会人生活も落ち着いたので、彼に、「猫飼いたい!」と、一緒にペットを飼う事を提案します。 すると思いの外、彼も乗り気に。 「やったー☆」なんて内心思いながら、彼をペットショップに誘います。 しかし、ちょっと前まで猫を飼うという事に賛成をしていた彼が、ペットショップに誘った途端に、表情を曇らせるのです。 「うーん、ちょっとなぁ…」 何かモヤモヤと考え込む様にし、やんわりと誘いを躱している様に思えました。 当然私としては、乗り気になっているこの気持ちが抑えられません。 ちょっと駄々を捏ねながら、なんとか彼をペットショップに連れ出そうと言葉を交わします。 「猫、飼いたくなくなったの?」 「いやそういうわけじゃないけど…」 「出かける事自体がいやって事?」 「いやそうじゃなくて…」 彼のはっきりしない態度に、少しずつ苛立ってしまう私。 そうして一向に会話が前に進まない事に、結局私がふてくされてしまったのでした。 そんな態度に気づいたのか、「ちょっと聞いて」と、私に話しかけます。 そしてその後に出てきた言葉は、私がその時全く考えもしなかった、思いがけない言葉だったのです。 猫を飼うなら、保健所から猫を引き取りたい

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母親は未熟児として生まれた息子の近くに「手袋」を置いて帰る。翌日にその意味を知り看護師は感動した

2001年、ヤミール・ジャクソンさんは第一子となる子供の誕生を待ちわびていました。 妊娠の初期段階は順調に過ごすことができたのですが、6か月を過ぎたあたりから彼女は妊娠高血圧腎症と呼ばれる深刻な症状を抱えることになってしまったのです。 これは妊娠期に発生する症状で、血圧が非常に高くなってしまうというもの。 母子の健康状態を第一に考え、医師たちはこの段階で出産を敢行することを決断します。 このため、予定日から12週も早い段階で赤ん坊のザガローが誕生。 体重わずか1キロほどの未熟児として生まれたザカリーは、出産から155日もの間、集中治療室で過ごすことになりました。 ヤミールさんは毎日ザカリーのそばに寄り添いたいと思いますが、病院では夜間の面会が認められていません。 そのため、毎日息子と別れるたびに心が引き裂かれるような思いだったといいます。 何よりも、冷たくて無機質な集中治療室に小さな我が子を残していくのが辛かったそうです。 彼女が望んでいたのは、朝でも夜でも赤ちゃんを自分の腕に抱けるような環境でした。 小さなザカリーは常に愛情で包まれている状態を欲しているはずです。 そこでヤミールさんは、たとえ家にいても息子と「一緒にいる」ことはできないかと考え始めます。 そしてある夜、彼女が皿洗いをしていると、ふと近くにあったゴム手袋に目が行きました。 その瞬間ヤミールはあるアイディアを思いつき、それを試してみることにしたのです。 次の日、彼女は手袋にリンシードを詰め形を作り、病院に持って行きました。 そして、ザカリーのそばに座っている間ずっと手袋を肌身離さず持っていました。 やがて帰らなければならない時間が来ると、ヤミールは自分の匂いがしみついた手袋をザカリーのそばにそっと置いていったのです。 これでザカリーは一晩中母親のそばにいるという感覚を得られるかもしれないと考えたのです。 翌日、ヤミールさんが病院を訪れると、手袋に実際に大きな効果があったことを看護婦たちに知らされ驚きます。 ザカリーの心拍数と呼吸はこれまでと比べてはるかに安定し、今まで以上に穏やかに眠っていたというのです。 それ以降、ヤミールは「ザッキー」と命名したこの手袋を必ず帰る前にザカリーのそばに置いていくようになりました。 そして、ついにヤミールが息子を連れて自宅に戻ることができる日が訪れたのです。 そのとき、一人のナースがヤミールを呼び止め、その言葉にヤミールは再び驚くことになります。 ヤミールさんが持っていたこのザッキーをもっと作ってくれないか、と病院に依頼されたのです。 この病院では、集中治療室に入っている他の赤ちゃんにもこの方法を試せないか検討しているということでした。

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