「大きな問題」だと世間で騒がれ、その瞬間は悲しみや怒りを共感しても、人という生き物はすぐにそんな感情を忘れてしまう生き物です。
いざ自分が当事者になっても、昔感じたあの感情など微塵も思い出せずに、そんな問題をずっと見落としながら生きてしまう事もあります。
私は、動物が大好きです。
小さい時から犬と猫を飼っていたのですが、大学入学を機に一人暮らしをしてからは、ペットとの生活とずっと離れていました。
ペットの元を離れてからも、動物に関するニュースや報道がされれば、手を止めてその映像や報道を見ています。
悲しいニュースもたくさんあり、そのニュースを見る度に、涙を流しながら悲しい感情に共感をしている私。
殺処分や、動物虐待の報道には、強く胸を痛めていました。
それから社会人になり、結婚を前提に交際をしている彼と一緒に住むようになります。
社会人生活も落ち着いたので、彼に、「猫飼いたい!」と、一緒にペットを飼う事を提案します。
すると思いの外、彼も乗り気に。
「やったー☆」なんて内心思いながら、彼をペットショップに誘います。
しかし、ちょっと前まで猫を飼うという事に賛成をしていた彼が、ペットショップに誘った途端に、表情を曇らせるのです。
「うーん、ちょっとなぁ…」
何かモヤモヤと考え込む様にし、やんわりと誘いを躱している様に思えました。
当然私としては、乗り気になっているこの気持ちが抑えられません。
ちょっと駄々を捏ねながら、なんとか彼をペットショップに連れ出そうと言葉を交わします。
「猫、飼いたくなくなったの?」
「いやそういうわけじゃないけど…」
「出かける事自体がいやって事?」
「いやそうじゃなくて…」
彼のはっきりしない態度に、少しずつ苛立ってしまう私。
そうして一向に会話が前に進まない事に、結局私がふてくされてしまったのでした。
そんな態度に気づいたのか、「ちょっと聞いて」と、私に話しかけます。
そしてその後に出てきた言葉は、私がその時全く考えもしなかった、思いがけない言葉だったのです。
猫を飼うなら、保健所から猫を引き取りたい
全然考えもしなかった言葉に、「えっ?」と聞き返してしまう私。
彼が考えていた事は、「もっともっと動物を大切に思わないと」という、私が考えていた動物愛よりもはるかに大切な事でした。
ペットショップにいる猫も犬も、もちろんすごく可愛い。
可愛いから、みんなほとんどちゃんと飼い主に引き取られるでしょ。
だから俺たちがそこで買わなくても、みんなちゃんと幸せになれると思うんだ。
でも、保健所にいる犬や猫は、そうじゃない。
もう死の一歩手前のところに立たされていて、今この瞬間も生きる奇跡を信じてる。
でもほとんど、その奇跡は起きないで、殺されちゃってる。
保健所にいる子たちはたまたま運が悪くてそういう運命にさらされてる。
だったらその子たちでいいし、俺はそういう子を飼いたい。
で、ちゃんと保健所の中にいる動物を見て、生き物の命を飼うってどういう事かもちゃんと向き合ってから飼いたいって思ってる。
彼の真剣な言葉を聞いて、私はなんて軽い気持ちで動物を飼おうとしていたのかと、強く反省しました。
あれだけ、殺処分や虐待の話を見て涙を流していたのに、なんで自分が当事者になった時、保健所で動物を引き取るという選択肢が思い浮かばなかったのか。
「本当にごめんなさい」
彼に謝った言葉は、彼だけでなく、そうした死の淵に立たされている動物に向けた言葉だったようにも思えます。
同時に、この気持ちを、今度こそ一生忘れないようにと、しっかりと胸に刻んだのでした。
その後、彼と共に保健所に行き、二匹の猫を引き取りました。
飼い始めてから半年程の時間が経ちましたが、とにかく可愛くて、世界で一番我が家の猫が可愛いと思っているほど。
今この瞬間も、そんな可愛い犬や猫が、たくさん死の淵で奇跡を待っています。
巡り会いの奇跡ではありません。
生きるか死ぬかの奇跡です。
うちの猫がスヤスヤと安心しきった顔で寝ている姿を見ると、本当に保健所に行ってよかったと思いました。
何の罪もない可愛いこの子たちも、もし彼があのとき私に胸の内を打ち明けてなかったら、今はもうこの世にいないのかもしれないのです。
そう考えると、本当に心が痛みます。
もし、ペットを飼おうとしている人がいらっしゃいましたら、そんな奇跡を信じて待っている動物たちに、ぜひ一度だけ会いにいってあげてください。
その数が一人二人と増える分だけ、救われる命があります。