進学校であればあるほど、勉強に対しての意識が厳しいもの。
そうした意識が起因してか、「試験至上主義」に陥っている教育現場も、実は少なくありません。
関東圏にある、とある私立進学校。
その日は学年末考査の日。
一人の女子高生が学校に向かい歩いていると、目の前に驚きの光景が広がっていました。
おばあさんが一人、道で倒れていたのです。
その隣には、重そうな荷物の袋が倒れていました。
どうやら足を捻ってしまっている様で、苦しそうな表情をしながら顔を埋めています。
急いで携帯で救急車を呼び、荷物を脇にどけ、おばあさんに寄り添っていました。
数十分して、救急車が到着。
もう既に高校には遅刻の時間だったので、一緒に救急車に乗り込みます。
その中で学校に電話し、簡単に状況を説明して遅刻する旨を伝えて電話を切りました。
結局おばあさんは足を捻挫していましたが、命に別状はなかったので一安心。
その後おばあさんからお礼と試験に遅刻させてしまったことへの謝罪がありましたが、おばあさんが無事だったことが何よりも良かったので、その女子高生は笑顔でその場を去りました。
しかし、この後、彼女に何とも酷い出来事が訪れます。
遅刻して学校に到着するも、学年末考査を受けさせないと言われたのです。
学校へは遅刻している時間だったものの、試験開始時間前に状況を説明した電話をしていた彼女。
「電話も事前にしていたのに、なんでダメなんですか?」と、試験を受けさせないと言う教師に向かって食らいつきます。
すると教師は表情も変えずに、淡々と
「どんな理由であっても、あなたの都合で試験に来れなかったのだから、追試なんてありません」
「親族でもない人が怪我していたからと言って、あなたが試験を受けられない理由になりません」
「そんなこと言ったら、世の中の誰かが怪我しているからといって、いくらでも追試や再試を受ける理由が作れてしまいます」
と言ってくるのです。
なんてめちゃくちゃなことを言っているのだろう、と彼女は思ったそう。
目の前で人が倒れているのに、それを助けるという行為がなんで受け入れられないのか?
「じゃあ、そのままおばあさんを見捨てれば良かったんですか?」
どうしても納得ができず反論するも、
「それだったら、救急車を呼んであなたは学校に向かえばよかったじゃないですか」
「どうしても、あなたが救急車に一緒に乗り込まなければいけない状況だったのですか?」
と言い返されます。
悔しくて泣きそうになりながらも、教師の言っていることも一理あって、何も言い返せません。
確かに、別にその時救急車に一緒に乗らなくたって、何も変わらないかもしれない。
でも目の前で倒れていて苦しそうにしているおばあさんを見たら、どうしても心配になってしまう・・・
それを伝えようにも、何度も理屈で反論されてしまうので、遂には何も言えなくなってしまいました。
そうして結局、自宅に帰らされる事になった女子高生。
どうしても理不尽だと思っても、教師を納得させる事なんて到底できないと思い、悲しみに暮れていました。
しかし・・・
その日の15時頃に、その女子高生に電話がかかってきます。
それは学校からでした。
「学年末考査の件ですが、特別に追試を行う事を決定しました」
「今から学校に来てください」
突如、学年末考査を受けられる様になったとの連絡。
びっくりするも、これで試験をしっかり受けられるという喜びでいっぱいになり、学校に向かいます。
学校に到着し、教師の案内で職員室の隣にある別室へ。
特別にその女子高生だけの為に、試験室が設けられていました。
「なんでさっきあんなにダメって言ってたのに、急に追試がOKになったんですか?」
純粋に疑問に思い聞いてみると、教師の口から、驚きの言葉が返ってきたのです。
「あなたが助けたおばあさんから、学校に電話が掛かってきました」
「どうやらそのおばあさんも、この学校の出身らしくて」
びっくりする女子高生。
教師は言葉を続けます。
「どんな理由でも駄目です」怪我した老人を助ける為にテストを遅刻するも、再試を拒否された進学校の生徒。そんな学校を変える”一本の電話”が掛かってきた