「汚い靴ね!」運動会で隣の子供の靴を見て嫌みを言う妻。すると、弁当を食べていた息子が妻に話した言葉に胸を打たれる

子供の運動会に、妻と一緒に参加していた時、息子が妻の一言に対して発した言葉が何とも感慨深い内容でした。 私は、子供の運動会に参加するのは初めてで、今回は親子対抗リレーに参加する約束でした。 お昼休みの直前にリレーがあるので、息子と二人で「これで1位になってお弁当いっぱい食べような!」なんて話しながら、意気込んでいました。 そんな初めての運動会。 お昼を迎え妻と息子と三人で妻の手作り弁当を食べていた時、隣に座る友達家族の子供の靴を見て、妻が酷い事をポロっと口走ったのです。 なんか、あの子の靴汚いね! もっと綺麗に履けないのかしら。 ついつい口走ったこの言葉に、私自身少し不快な気持ちになりましたが、何よりもその言葉に対して激しく怒ったのは、私よりも息子だったでのす… そして、弁当を食べる息子が妻に向かって、とても感慨深い事を話はじめたのです。 息子の運動会に初めて参加して、親子リレーに出場する事に。 運動など最近全くしていなかったので、少し不安ではありました。 前日息子に、 練習しようよ! いっぱい練習すれば、きっと1位になれるんだよ! そう言われ、1日だけ息子と親子リレーの練習をしての本番。 そしてお昼の時間になり、妻の手作り弁当を三人で食べながら午前最後の部で行われた親子リレーについて話しながら食べていたときです。 ふと、隣の家族の子供が履いていた靴を見た妻が、とても嫌みな事を発したのです。 んか、あの子の靴汚いね! もっと綺麗に履けないのかしら。 すると、この言葉に対して、息子が何とも感慨深い事を話し始めました。 ママは、知らないからそんな酷い事言えるんだね。 ママは、頑張ったりする事を知らないから、そんな事が言えるんだね。 ◯◯くんはね、運動会で一等賞を取るために、毎日遅くまで走る練習をしていたんだよ。 だからね、靴も汚くなっちゃったんだよ。 ◯◯くんが一生懸命頑張った証拠なのに、そんな事言わないであげてよ。

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「どんな理由でも駄目です」怪我した老人を助ける為にテストを遅刻するも、再試を拒否された進学校の生徒。そんな学校を変える”一本の電話”が掛かってきた

進学校であればあるほど、勉強に対しての意識が厳しいもの。 そうした意識が起因してか、「試験至上主義」に陥っている教育現場も、実は少なくありません。 関東圏にある、とある私立進学校。 その日は学年末考査の日。 一人の女子高生が学校に向かい歩いていると、目の前に驚きの光景が広がっていました。 おばあさんが一人、道で倒れていたのです。 その隣には、重そうな荷物の袋が倒れていました。 どうやら足を捻ってしまっている様で、苦しそうな表情をしながら顔を埋めています。 急いで携帯で救急車を呼び、荷物を脇にどけ、おばあさんに寄り添っていました。 数十分して、救急車が到着。 もう既に高校には遅刻の時間だったので、一緒に救急車に乗り込みます。 その中で学校に電話し、簡単に状況を説明して遅刻する旨を伝えて電話を切りました。 結局おばあさんは足を捻挫していましたが、命に別状はなかったので一安心。 その後おばあさんからお礼と試験に遅刻させてしまったことへの謝罪がありましたが、おばあさんが無事だったことが何よりも良かったので、その女子高生は笑顔でその場を去りました。 しかし、この後、彼女に何とも酷い出来事が訪れます。 遅刻して学校に到着するも、学年末考査を受けさせないと言われたのです。 学校へは遅刻している時間だったものの、試験開始時間前に状況を説明した電話をしていた彼女。 「電話も事前にしていたのに、なんでダメなんですか?」と、試験を受けさせないと言う教師に向かって食らいつきます。 すると教師は表情も変えずに、淡々と 「どんな理由であっても、あなたの都合で試験に来れなかったのだから、追試なんてありません」 「親族でもない人が怪我していたからと言って、あなたが試験を受けられない理由になりません」 「そんなこと言ったら、世の中の誰かが怪我しているからといって、いくらでも追試や再試を受ける理由が作れてしまいます」 と言ってくるのです。 なんてめちゃくちゃなことを言っているのだろう、と彼女は思ったそう。 目の前で人が倒れているのに、それを助けるという行為がなんで受け入れられないのか?

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【注文は小盛りの牛丼一つのみ】深夜の牛丼屋に入店した父娘に対して、店員が取った行動が後に大きく運命を変える事になった

時給は高いが、色々な種類の人間と接する機会の多い深夜帯のアルバイト。 その時間は来店するお客も少なくなるため、少人数での勤務も多くなります。 深夜帯での客層は、仕事上止むを得ずその時間に起きているという人もいますが、日中より全体的に少し柄の悪いお客が多いという現状があるのだとか。 しかし深夜の時間帯では、ときに一風変わったお客に出会うことも。 今回はそんな深夜帯のアルバイトで出会ったお客と、そこから繋がる心温まるエピソードを紹介させて頂きます。 殺伐とした今の世の中には珍しい店員の行動に、忘れかけていた人の暖かみを思い出させてくれる…そんな方も多いのではないかと思います。 昔の日本では当たり前だったことも、現在の日本では人間関係が希薄になり他人への関心も薄れていく一方。 そんな時代だからこそ、読んで頂きたい心温まるお話です。 自分も同じ状況に出くわしたら、同じように手が差し伸べられるか考えさせられました。 以下引用 少し前、資格とりたくて数年勤めた職場を退社してフリーターしながら資格の勉強をしていた。 バイト先は牛丼屋で、基本は22時から朝までのシフト。 2年前のちょうど今時、深夜1時頃にある父子が客で入ってきたんだ。 父親は30代くらい。子供は女の子でたぶん2才~3才くらいかな。 深夜にもかかわらず女の子は眠い感じがなく、活発に喋ってた。 お冷を持っていったら父親「ちょっと注文考えさせて下さい」と。 当時は1人シフトで地方都市の国道沿いの店なもんで他に客は無し。 父子の会話が明瞭に聞こえてきた。 娘「これナホちゃん食べたいなー」 父「ナホはこれ食べたいんだなー(財布の中身見て)いいよ、これ頼もうか!」 娘「ぎゅどんておいしいー?」 父「うん、すごくおいしいよー!」 呼び出しが鳴ったので注文を取りに行った。 父「すいません、この(小盛の牛丼)をひとつください」 俺「他にご注文は?」

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白血病で亡くなった後に気付いた娘からの70文字のLINE。数行に秘められた娘の思いに母は崩れ落ちる

2015年5月15日。 私の娘は天国へ旅立ちました。 若干17歳という若さで、この世を去ってしまいました。 白血病。 彼女が生まれてすぐに、元夫から延々と受けていた家庭内暴力(DV)に耐えきれず、離婚をしていた私は、娘と様々な苦節苦難を共にし、笑い支え合い生きてきました。 私一人では決して乗り越える事のできない困難も、娘がいつも励ましてくれたからこそやってくる事ができました。 いつも前向きで、いつも元気で、病気が判明したときだって一切弱音を吐かない娘でした。 常に前向きでポジティブな娘のおかげで、何度も勇気付けられてきました。 しかし、亡くなる数日前に容体が急変。 還らぬ人となったのです。 亡くなってすぐの1週間は、娘の死を受け入れる事が出来ず、自暴自棄になっていました。 何も手に付かず、悲しみに暮れ朝から夜まで意識がぼーっとしていたと思います。 しかし、丁度娘が亡くなって1週間ほど経った頃、あるモノを見つけたのです。 それは、LINE。 亡くなる前に、娘が私に宛てて送ったLINEでした。 娘にLINEでやり取りをしようと言われ、登録までしてもらったものの、いかんせんスマ−トフォンの使い方もまだ把握出来ていなかった私は、このLINEの存在に気付きもしなかったのです… 少しだけ心に余裕が出来、娘がスマ−トフォンでたくさん写真を撮ってくれていた事を思い出し、分からないなりに操作をしていた時です。 画面上のLINEアプリの所に、赤く「2」と表示されているのに気付き、見てみました。 するとその送り主は、娘。 LINEが送られた日時は娘が亡くなる2週間も前でした。 そしてその内容は、いつも強くポジティブで前向きな娘の本当の声と姿が書き出されていました… お母さん。 ゴメンね…本当にゴメンね… 迷惑かけてゴメンね… 生まれてきちゃって迷惑掛けちゃってゴメンね。

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引きこもりを5年間続けた21歳の息子が突然リビングへ・・・そこで渡された『アル物』に泣き崩れる。

私の息子は、現在21歳。 16歳の頃から、丸5年間引きこもっています。 高校でいじめに遭い、それ以来学校もやめ、引きこもり始めました。 いじめから救ってあげられなかった私たち夫婦のことも相当恨んでいる様子を見せ、トイレと風呂・食事を受け取る時以外、一切私たちとも口を利きません。 何度も声をかけ、外の世界に戻してあげたいと努力を重ねましたが、力不足なのか、息子の心の壁を開くことができませんでした。 高校の教師、カウンセラー、精神科医など、あらゆるところに相談しても、いずれも効果はなし。 どうすればいいのかわからず、妻も精神を病みそうになるほど、家庭の雰囲気は最悪なものでした。 絶対に返事が返ってこないことがわかっているのに、なんとか諦めず、声をかける日々。 そんな私も正直、気持ち的にとてもギリギリな状態でした。 そんな日々が5年続いた、つい先日。 今までリビングに息子が来ることなど一切なかった息子が、何かを持って、突然リビングにやってきます。 「どうした・・・?」 突然やってきた息子に、なんて言葉を投げかけていいかもわからない。 妻も驚きながら、私のところにやってきました。 息子がきたことに戸惑いを感じてしまう自分にも、強い嫌気がさします。 すると息子は、ボソッとした声で、「これ」と言いながら、手に持っていたものを差し出し、再び部屋に戻っていきました。 息子が渡してきたのは、何か文字が書き綴られている、一枚の紙きれ。 そこには、私たちを思いやる、優しくも儚い息子の心の声が綴られていました。 お父さん、お母さん こんな息子に毎日食事を作ってくれてありがとう こんな息子に毎日声をかけようとしてくれてありがとう こんな息子に毎日生きてと思ってくれてありがとう このままじゃだめなのは、自分自身よくわかってる けど、自信がない 人と話すのも、触れるのも、本当にすごく怖い

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引きこもりを5年間続けた21歳の息子が突然リビングへ・・・そこで渡された『アル物』に泣き崩れる。

私の息子は、現在21歳。 16歳の頃から、丸5年間引きこもっています。 高校でいじめに遭い、それ以来学校もやめ、引きこもり始めました。 いじめから救ってあげられなかった私たち夫婦のことも相当恨んでいる様子を見せ、トイレと風呂・食事を受け取る時以外、一切私たちとも口を利きません。 何度も声をかけ、外の世界に戻してあげたいと努力を重ねましたが、力不足なのか、息子の心の壁を開くことができませんでした。 高校の教師、カウンセラー、精神科医など、あらゆるところに相談しても、いずれも効果はなし。 どうすればいいのかわからず、妻も精神を病みそうになるほど、家庭の雰囲気は最悪なものでした。 絶対に返事が返ってこないことがわかっているのに、なんとか諦めず、声をかける日々。 そんな私も正直、気持ち的にとてもギリギリな状態でした。 そんな日々が5年続いた、つい先日。 今までリビングに息子が来ることなど一切なかった息子が、何かを持って、突然リビングにやってきます。 「どうした・・・?」 突然やってきた息子に、なんて言葉を投げかけていいかもわからない。 妻も驚きながら、私のところにやってきました。 息子がきたことに戸惑いを感じてしまう自分にも、強い嫌気がさします。 すると息子は、ボソッとした声で、「これ」と言いながら、手に持っていたものを差し出し、再び部屋に戻っていきました。 息子が渡してきたのは、何か文字が書き綴られている、一枚の紙きれ。 そこには、私たちを思いやる、優しくも儚い息子の心の声が綴られていました。 お父さん、お母さん こんな息子に毎日食事を作ってくれてありがとう こんな息子に毎日声をかけようとしてくれてありがとう こんな息子に毎日生きてと思ってくれてありがとう このままじゃだめなのは、自分自身よくわかってる けど、自信がない 人と話すのも、触れるのも、本当にすごく怖い

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暴走族の兄が他界…遺品の整理中、全てに鍵が掛かった不思議な引き出し。その中には”絶対バレたくなかった物”が敷き詰められていた

私には、兄がいます。 とは言っても、もう10年以上前に他界してしまいました。 死因は交通事故。 バイクで大型トラックの車両後部に激突し、即死でした。 当時、兄は17歳。 地元でも有名な暴走族のリーダーを務めていたらしく、近所のみならず周囲からはかなり恐れられていた存在だった。 元々はすごく優しく、弟の私に対しても面倒をよく見てくれて遊んでくれていた兄ですが、中学校2年生頃から急に悪へと方向を間違えてしまったのです。 学校へも急に行かなくなり、家にもたまにしか帰って来なくなった兄。 「一体何があったのだろう…」 元々は明るく笑顔で運動が大好きな性格だった兄は、友達からも人気の活発的な好少年。 それが急に変貌してしまったので、家族も私も困惑を隠しきれませんでした。 家には、警察から電話が掛かってくる事なんて日常茶飯事。 ・暴走行為 ・喧嘩 ・窃盗 両親は、兄の犯した様々な所業で警察へ呼び出しをされていました。 たまに家に帰ってきては母親と父親と言い合いになり大げんか。 あんなに優しかった兄は、その時既に私とは口も利いてくれなくなっていました。 兄が悪の道へ進み、見た事のない特攻服のような服を身に纏い単車で家を出て行く姿を見て、母が泣いている姿を何度か見た事だってあります。 なんでこんなに家族を悲しめる事をするんだ。 私は、徐々に大好きだった兄に対して怒りを覚える様になり、ハッキリと兄に立ち向かって、もう 家族を悲しませる様な事をするのはやめるように言ったのです。 すると、兄は怒るわけでもなく意味深にこんな言葉を返してきました。 お前には分からんよ。 戻れない状況と今更なんて言っていいかも分からない所まで来ちゃったんだ。

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『他界したはずのパパが結婚式に!?』娘に”少しだけ”会いにきた…16年越しに知った”パパの真実”に涙が止まらない

人生の大事な節目となる結婚。 その結婚という瞬間を、より私たちの心に色濃く焼き付けるのが結婚式ですよね。 そんな人生の幸せな瞬間に立ち会えるというのは、友人や職場の仲間にとっても嬉しいことです。 ましてや、両親にとっては最幸の瞬間とも言えるのではないでしょうか。 子供を授かった時から、その瞬間に立ち会えることを夢見ている両親はたくさんいると思います。 しかし、その瞬間に立ち会うことができない方も現実にはたくさんいます。 今回ご紹介する実際にあったエピソードも、娘さんが幼い頃にお父さんがバイク事故で亡くなりました。 しかし、結婚式の途中で突然懐かしいお父さんの声が… 涙なしでは見られない号泣必須の感動の実話をご覧ください。 私はつい先日に同い年(21歳)の彼と結婚しました。 12月には長男が産まれます。 まず、私の大好きなパパの紹介をさせて下さい。 私のパパは、同い年のママと19歳の時に結婚して、その年の冬に私を産みました。 いわゆる出来ちゃった結婚ですね(笑) パパは高校へは行かずに、16歳の頃からバイクのレーサーを目指していたみたいですが、怪我でプロの夢は諦めたみたいです。 そんなバイクが大好きなパパが選んだ仕事がバイクで書類を配送する仕事でした。(当時はテレビ局のプレス(?)と私には言っていました。) ママと結婚する時に、両方の両親からは大反対されたみたいです。 普通に考えて、家族を支える仕事としては、事故とか心配になりますよね。 でもパパは、ママの両親に「自分は命を懸けて仕事をして、命を懸けて家族を守るんです!それが自分なんです!」と言って反対を押し切ってママと結婚したそうです。 でもそんな言葉が無残にも現実になってしまったのです。 パパは休みの日は絶対に私と遊んでくれました。 ご飯も一緒に家族全員で食べていました。 私のワガママも全部聞いてくれて、私が自転車の練習を始めた頃(4歳)には朝から夕方までずっと公園で一緒に練習してくれました。 雨でも晴れでも雷が鳴っても、絶対に保育園に迎えに来てくれました。 亡くなる前は、パパと毎日お風呂に入って、パパの細い腕枕で寝ていました。

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幼いライオンを救った男性。野生に戻ったライオンに数年ぶりに会いに行くと、ライオンの見せた反応に世界が涙…。

皆さんの飼っているペットたち。 普段から一緒に生活をしているため、お互いの信頼の強さを感じる瞬間ってあるのではないでしょうか? 動物は、情に厚く、時に私たち人間と同じような行動をすることもあるのです。 今回ご紹介するのは、自然保護NPO団体の一員であるバレンティンさんと、メスのライオン「シルガ」の感動の再会を果たした映像です。 バレンティンさんは、当時子供であったシルガを保護しました。 そして、成長したシルガは野生へと帰り、今も野生で元気に過ごしています。 そんなシルガへ数年ぶりに会いに行ったバレンティンさん。 久々の再会に、バレンティンさんも興奮をしていますが、シルガも同じように再会を心待ちにしていたようです。 人と動物を隔てる柵を開けると、シルガはまるで猫のように飛びついてきたのです。 その後も、バレンティンさんに抱きつきながら、まるで「会えなくて寂しかった」と言っているかのように、バレンティンさんに体を擦り付けます。 それに応えるようにバレンティンさんはシルガの体を撫でます。 幼少のころに助けてもらったこと、愛情を注いでもらったことをしっかり覚えていたということですね。 しかし、体の大きくなったライオンのシルガが、無邪気に飛びつく行動をするなんて、思いもしなかったです。 この姿を見ると、バレンティンさんとシルガは強い絆で結ばれているというのがよくわかります。 バレンティンさん、これからもシルガに時々顔を見せてあげてくださいね☆

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13年間共に過ごした愛犬が他界。悲しみの中、犬小屋を撤去すると紙キレが・・・信じられない事態で号泣する

私は大学卒業後、東京で就職。 地元の三重県から1人で出てきました。 東京に来たばかりは友達も少なく、常にホームシック状態で、毎日毎日実家に電話をしていました。 その中でも、やはりずっと思っていたのは子供の頃からずっと一緒だった愛犬のチロル。 私がペットショップで一目惚れして、ワガママを言い続けて買ってもらった犬でした。 いつどんな時でも隣にいて、私が辛い時や悲しい時もずっと側で優しく寄り添ってくれ、悲しい表情の時はペロペロと気遣う様に舐めてくれたり、辛い時は何も言わず側でゴロンと寝そべりながら上目遣いで心配そうに見守ってくれていたチロル…。 実家での想い出には、必ず側にチロルがいてくれました。 いつも、お母さんに電話をしては電話口にチロルを出してもらって元気をもらう。 お母さんの話では、私が上京してからは、心なしかチロルに元気が無くなってしまったそうです。 家の中だと全く動かなくなってしまったチロルの健康を気にかけ、外の庭にチロル専用の放し飼いに出来るスペースと冷暖房付きの犬小屋をこしらえ、家の中とはいつでも行き来ができる様にしてあげたそうです。 しかし、それでもやはり元気が無くなったのは、私が居なくなってしまったからだと… お母さんが驚いていたのは、不思議と私が電話越しに話しかけると尻尾を目一杯振って喜んでいたという事。 しかし、上京してしばらくすると、こちらでも友達が出来、段々と生活に慣れ始め実家に電話をする回数もどんどん減ってしまいました。 その時は気付かないものですが、後にとてつもなく後悔をする事に。 上京して約一年が経った頃、ある日実家から一本の電話が…。 仕事の昼休憩中だったので、用件だけ聞こうと急かすと、お母さんの口から悲しげな声とともに一言。 チロル、死んじゃったよ。 チロル、息しなくなっちゃったよ。 母からの電話 私は、全ての時が止まったのを覚えています。 昼休憩中賑わう社内食堂の中、呆然としました。 そして同時に今までチロルと過ごした日々が走馬灯のように回想しました… 仕事にも慣れ、こちらの生活に慣れ始めてから、気付けば一度も実家に電話をしていませんでした。 チロルは、それから明らかに元気が無くなっていったそうです… お母さんが誰かと電話をする度に、私だと思いジッと見つめて期待している様な表情を浮かべていたそうです。

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